私のポートレートシリーズの起点の一つは2017年に訪れたハンブルクのフリーマーケットでの古い家族写真との出逢いにある。
それらの写真は数十枚に及び、そのどれもがごくありふれた家族の日常を写したものであった。赤子の顔を覗き込み微笑む母親らしき女性の横顔、庭で遊ぶ子どもたちや食卓を囲む和やかな夕食の風景。森の小道を歩くだれかの後ろ姿。いつかの時代、遠く離れたどこかの街の、ある家族がたしかに存在し懸命にその人生を生きていたことが誰からの目にも留まることなくこの世界から忘れ去られていたことに静かに感動したのを憶えている。
わたしたちはすでに皆の目の前にあるのに、まだ気づかれておらず名前さえ持たないものを見る視力を持っていながら、その存在に気づきにくい世界を生きている。あたかも「見えているもの」はすべて他者と共有可能であるとするような現代において、わかりにくいこと、忘れられてしまったもの、目に見えないものの危うさを問いかけることは容易なことではない。
私にとって、かつて彼らがまなざしていたはずの景色や、頬に触れたはずの温もり、彼らが日々互いに交わしたはずの親密な言葉に耳を澄ませることは、そうした不透明な世界の在り方に少しでも寄り添うためのささやかな手助けとなるのかもしれない。
-吉田紳平
吉田紳平の作品と向き合うとき、鑑賞者は静かに忘れられた時間の気配を感じます。
朧げに色がならぶキャンバスには日常の一瞬が切り取られ、ピントの合わない画面を見つめながら、そこには一瞬の儚さと同時に永遠の時間が宿るような、相反する時間の流れが感じられます。
吉田はファウンドフォトをもとに、過ぎ去った記憶の断片を再構成することを得意とし、鑑賞者にデジャヴのような感覚を抱かせます。これにより、かつてそこに存在した「誰か」の姿が、鑑賞者の心の中にある曖昧な記憶と重なり、親密で普遍的な、不思議な感覚を引き起こします。
吉田の作品は「存在と不在」「記憶と忘却」といったテーマに深く根ざしており、とくに自身の祖母の死にまつわる体験から影響を受けたポートレートシリーズは、生命のはかなさと、時間の重みを静かに浮かび上がらせます。吉田の表現は、過ぎ去った記憶の断片を思わせるものであるが、それは単なるノスタルジーにとどまることはなく、過去と現在・見えるものと見えないものといった、狭間に漂うかすかな響きに耳を澄ませて、日常のなかに隠れた、見えない意味を探るためのきっかけを与えます。
これまでにさまざまな国内外の展示に参加し、とくに2018年のドイツ〈FRISE〉でのアーティストインレジデンスが、その後の吉田の創作に大きな影響を与えました。「My husband」と題された本展は、弊廊での初開催となり、東京では約二年ぶりとなる個展形式の展示です。吉田が自身の生を通して獲得してきたまなざしが、hide galleryの静謐な空間で、どのような情景をもたらすのか、この機会にぜひご覧ください。